題字の移り変わり

創刊時の背景は、中国5県の白地図でした。まもなくして背景が白色に。字体が変わったり、「廣島日刊」が付いたり消えたりとめまぐるしく変化しました。
紙齢(創刊から数えた通算の発行番号)が5千号となる明治41年6月21日から、「中國新聞」に変わりました。ここでは、その変遷がよく分かるものをご紹介します。

創刊当時1892
(明治25)年

1899(明治32)年

1901(明治34)年

再び「日刊」が削除され、背景に宮島の鳥居の絵が入る

1905(明治38)年

書体と図柄が変わる。上半分に桜とモミジ、下半分に広島城が描かれ題字部分を鯉の形で縁取っている

1912(明治45)年

宮島の鳥居をバックに「廣島中國新聞」となる

1936(昭和11)年

1992(平成4)年
~現在

「國」と「新」の字が変わった

横組みの題字も

明治末期から大正にかけて正月号の題字は横組みで、新春ムードを強調していました。1908(明治41)年元旦は横組みで、バックに日の出と松が描かれています。
中でも、19(大正8)年は全ページが使われました。背景の絵を、画家田中頼璋が描いた年もありました。

1908(明治41)年元旦

1919(大正8)年元旦

1922(大正11)年元旦